「これは……」
クレスの肩に止まっていたブラックウィンドは、その光景に目を奪われた。
森と森の隙間にある、この広間には丁度満月の光が照りつけている。
昼間ほどではないが、今目の前に広がっている状況を、烏の姿をしたブラックウィンドが認識できる程には明るさがあった。
そんな中、ブラックウィンドは衝撃的なその光景から目が離せなかった。
いい意味ではない。
そこに見える範囲では、一人の盗賊ギルド風の男と、その周りに散雑している十人ほどの盗賊ギルド員達の亡骸だったからだ。
そのいずれもが、たった一撃で葬られているのが分かる。
どの亡骸にも傷が少ない。
傷の少なさに反比例して、そのいずれもが多量の出血を見せている。
狙った箇所は、例外なく大動脈。
ただそんな亡骸の中、ひとつだけ違ったものがある。
それは誰のものか。
大柄な男は、その脇腹から血を流してはいたが、多量の出血というものを見受けることが出来なかった。
ブラックウィンドに考え得る死因はふたつ。
一つは何らかの毒薬が、乱雑に円を描く中心にただ一人立っている男の刀身に塗られている可能性。
もう一つの可能性は、浅いながらも内臓を的確に貫いたか、だ。
だが、もし前者にしても死に方が普通ではない。
その男は前のめりになって倒れているが、周りの雑草の感じからしてゆっくりと倒れているように見える。
大柄な男は派手に倒れた場合、もっと大きなしなれが雑草にあっておかしくない。
もし、内臓を貫かれたにしても、死への時間が短すぎるのも気になった。
自分が致死量の傷を負って冷静でいられる人間など、いない。
なのに、死への恐怖から逃れようと足掻いた形跡がない。
周りに大きな喧噪の後が見られるが、それは傷を負う前に出来たものだろう。
致死量の怪我を負って、あれだけの跡が地面に残る筈がないのだ。
(この男……たった一人で!)
ブラックウィンドの心に戦慄の炎が燃え上がった。
もし、自分がまだ人間であったとしても、十人近くもいるギルド員を相手に全て倒せるとは思えない。
それに、場に残されている雰囲気。
この荒れた土の状況から見た感じ、これ以上、いや少なくとも倍近くの人数と闘っていたようだ。
しかも時間もそうは経っていないだろう。
並大抵の力ではとても生き残れはしない。
盗賊ギルドは一般的に、戦闘員を育成・養成する組織ではない。
戦闘員の育成・養成はむしろ彼らとライバル的関係にある魔術師ギルドの方が長けている。
なら、盗賊風の服装に身を包んでいる男は一体何者なのか。
しかも、彼は無傷だ。
ただひとつの傷すらも、その身には負っていない。
「君が……やったんだね?」
クレスは臆することなく男に尋ねる。
いくら感情に乏しいとはいえ、今目の当たりにしている惨状が目に入っていないわけではないだろう。
ブラックウィンドには到底理解できる行動ではない。
感情が殻に閉じこもっている時のクレスなら、その問いかけの意味も分かる。
その行動にも理解を示す事は出来る。
そのクレスは、まだ幼少の少年の心を大きく残しているのだから。
だが、感情が殻から飛び出してなおこのような行動に出るということは、短くない時間を共に過ごしてきたブラックウィンドの目にも不可解に映るものだ。
感情を表に出している時のクレスは苛立ちの感情が強いのは知っていたが、ここまで敵意をむき出しにするほどではなかった。
そう、今のクレスは目の前の男に敵意を抱いていた。
「…………」
男は何も言わずにクレスを見る。
両手にはいつの間にかミドルソードが握られていた。
(気がつかなかった!)
ブラックウィンドでさえも、彼の手に握られた瞬間を感知できなかった。
クレスには尚更だろう。
だが、クレスはその得物に意味を見出せていない。
見ているのはその男の瞳。
その瞳にまだ殺気は感じない。
もし、殺気を感じていたならばミドルソードを取り出した瞬間にも気がついたのだろうが。
男に敵意を抱きつつも、その正体に対する不安を消し去る事が出来ていないのだ。
「なんで殺したの?」
おかしな質問。
そして、無邪気な質問。
男……つまりディット・バーンはそう感じた。
普通とは違う何かが、この少年の心には宿っている。
ディットはそう思った。
この状況において、この質問をしてくる意図は?
ディット・バーンはその少年に興味を持つ。
よく見れば見るほどおかしな風貌をした少年だった。
足元にまで届きそうなほど長いローブ。
中の方に更に着物をつけているようだが、中の着物の裾が短い感じになっている。これはこの着物の元々の寸法なのだろう。
走る回るには一見不利に見えるが、動くと上に着ているローブが揺らめいてさほど苦にならず動け回れそうだ。
そして彼が肩から掛けている多少大きめのバッグには剣が差してあると思われるが、鮮やかな細飾の施された柄のようなものが見え隠れしている。
長さから見てハーフソードと見て間違いないだろう。
片手で扱うことも出来、両手で威力を伝えることも出来る俊敏さを売りにしている戦士向けの剣だ。
だがその装飾からして、それがただのハーフソードとは思えない。
なんらかの魔力、それも微々たるものではなく、それなりに名のある名剣であるのは間違いのないところ。
そして、長い耳。
(ハーフエルフか……?)
人間と呼ぶには線が細すぎる。
とはいえエルフと呼ぶには身長が高い。
ディット・バーンはエルフと一、二度ギルドの集会であったことがあるだけだが、それでもあの特徴あるスタイル等は忘れるはずがない。
だとしたら、彼はハーフエルフに間違いないはずだ。
そして、一番驚きなのが彼の肩に何ら違和感なく乗っている烏だ。
えてして烏というものは人になつかない生き物のはずだが、なぜか彼と烏のマッチングには、一寸の狂いもないくらい、そうあるのが当然に思えた。
その時クレスの肩に乗っていた烏。
つまりブラックウィンドも彼の正体を掴みつつあった。
(あのミドルソード……見覚えがある。確か……)
しかし、ブラックウィンドが自分の記憶を洗う前に、すでにクレスが動いていた。
「なんで殺す必要があったの?そこに刃は本当に必要だったの?」
クレスの手は剣の柄にかけられている。
「………………」
ディット・バーンもそれを確認してから、一度ミドルソードを鞘に納める。
鞘に得物を納める代わりに、今度は少量の殺気を全身に纏わせる。
その意味はディット・バーンにしか分からない。
「きゃっ!なにこれ!」
その時二人の耳に、年若いと思われる女の声が聞こえた。
恐らく辺りに無惨にも放置されっぱなしのギルド員たちの亡骸をみたのだろう。
しかしその女の声が聞こえても対峙する二人の視線がずれることはない。
「殺すということはそんなにも易しいものじゃない」
おかしな言い回し。
「ほう……どういう意味だ?」
ディット・バーンはほんの少しだけ殺気を抜く。
殺気を抜くと言うよりも毒を消されたと言う表現の方が正しいのかも知れない。
「人を壊すのはそんなに易しいものじゃないんだよ。君はそうは思わないかも知れない。僕は確かに君の事なんて知らないし、君だって僕の事を知ってはいない」
クレスはそこまでを一気に喋った後、少しだけ沈黙した。
ディット・バーンは何も応えずに先を促す。
「だけど僕は君のその佇まいに優しさというものを見つけられない。恨みや憤りといった感情すら見つけられない。憎悪や怒りといった感情すらも見つけられないんだよ。だったらそこにあるのはなに?ただの悦楽?」
その言葉にはさすがのディット・バーンも少し頭に来るものがあったのだろう。
先ほど抜かれた筈の毒、つまり殺気がわずかにだが回復していた。
「訳も知らずに知った口を利くものじゃない」
クレスもその言葉に先を感じたのだろう。
ディット・バーンの死角になるところで、指を自分のハーフソードの柄にかける。
「これは俺にとって全てだ。貴様が言ったとおり、貴様に俺の事は何も分からない。俺も貴様の事など何も知りはしない」
ディット・バーンはそう言うと、今一度クレスの目を睨む。
「事情を知らない人間が、人に口を挟むものじゃないと習わなかったのか?」
だがその視線にさえクレスが怯まない。
「それは僕の求めている答えではないだろう?僕は君の見た目から見出せないでいる、その感情を尋ねているんだよ」
ディット・バーンはついつい口から笑みが漏れたのを感じる。
なんて愉快なやり取りだろうか。
人を殺すのを簡単だと感じるようになった頃から、こんな感情は忘れていたかも知れない。
「感情か……それを知って貴様はどうするつもりなんだ?」
クレスはその言葉に僅かな同様を見せた。
「どうする……つもり?」
「そうだ。俺の感情を知ってどうする?そこに慈愛があったとしたらどうする?そこに語ることの出来ない憎悪があったらどうする?そこにただの殺人鬼としての悦楽があったとしたら、どうするんだ?」
クレスは頭の中がグルグルすると感じていた。
確かにそれを聞いて自分がどうしたかったのか?
「さぁ、俺を納得させてみろ。そこにあった感情を、貴様が知った時、では今度は貴様が俺にどういった感情を向ける?それは慈愛か?恨みや憤りか?それとも憎悪や怒りか?貴様は俺にどういった感情を抱く、そしてどういった行動を取る?」
ディット・バーンはただその答えを求めた。
それは決して、この歳よりも幼く見える青年を圧倒し追い詰めたいという理由からではない。
ただ、この愉快なやり取りの結末を知りたかった。
クレスは思う。
僕は彼に"なに"を伝えたかったのか?
僕は彼に"ナニ"をしたかったのか?
「僕は……」
クレスが口を開こうとした瞬間だった。
「うおぉぉぉぉおぉっ!」
うなり声を上げながらディットに突進してくる男がいる。
先ほど散った筈のギルドの一員だ。
「危ない!」
ブラックウィンドのその言葉が聞こえたのは、クレスとディット・バーンがそのギルド員の存在に気づく少し前。
クレスは咄嗟に剣の柄を握ったか、それを抜くかどうか迷っていた。
どちらが悪なのかその判断に迷いがあったのだ。
結局クレスにとって悪は悪であり、善ではない。
もし今こちらに飛び掛ってこようとしている男が、もしも"善"であったなら。
しかしディット・バーンに躊躇はなかった。
しなやかな動きで鞘から抜かれたディットのミドルソードは、確実に突進してきたギンルド員のわき腹を薙いだ。
「ギ……ギルドよ……永久に!」
そう言いながら崩れ落ちるギルド員。
目の前でまた一人の命が散ろうとしている。
そのわき腹を薙いだ一撃は改心。
これ以上ないまでに的確に人間を死へ至らしめる一撃。
クレスの頭にまた血が昇る。
それは怒り。
目の前で殺人行為を行われた事による怒りの感情。
「わかったよ……わかった!」
クレスは大きな声でそう叫ぶ。
「君は善じゃない!」
その瞬間だった。
クレスのその言葉がディット・バーンに届いた瞬間。
辺りに一際甲高い音が響く。
ディット・バーンのミドルソードが、クレスのとっさに抜いたハーフソードにはじき返された。
(ほう……)
その動きにディット・バーンはわずかにだが、自分の心が踊るのを感じた。
今の一撃を弾き返されるとは思っていなかったからだ。
その一撃はあくまでも牽制に過ぎずクレスの身体に傷を与えるものではなかったのだが、それでもその一撃を返されるとは思わなかったのだ。
「うわっ……見えなかった」
声の主は、先ほどの年若い女だった。
まだいたのか……。
ディット・バーンはそう心の中でつぶやいた。
余計な見物人は現場の混乱を呼ぶ。
「ねぇ、なんで殺したの?」
目の前の少年は、また同じことを聞いてくる。
「……それが俺の仕事だからだ」
ディット・バーンは低いが、それでいてよく通る声でそう答えた。
「仕事だから?人の命を何だと思ってんのさ!」
クレスはそう言うと、ディットに向かって、その格好からは到底想像できないほどのダッシュ力で間をつめていく。
(やる……しかし、甘い!)
ディット・バーンはその一瞬の時間で、クレスの動きを読んで、ミドルソードを縦に構える。
今度は、クレスの刃をディット・バーンがはじき返す。
次々に金属同士がぶつかり合う甲高い音が静寂を切り裂いていく。
(この二人は何者なの……二人とも半端じゃなく強いわ…… )
女はそう言うと、自分の杖を握った。
いつ何が起こっても咄嗟の対応が出来るように、だ。
一緒にきていたゴロツキの彼は、あまりの光景に腰を抜かしたのか、女の近くに座り込んでいる。
これほどの対峙を見るには、一般人に過ぎない彼には刺激が強すぎる。
そのすぐ近くで、ブラックウィンドは思いをめぐらせていた。
クレスの事。
目の前の男のこと。
とくにクレスは、今非常に精神的に不安定な状態にある。
この街に来る前に人を斬っているからだ。
そして、その人を斬る行為の後に、いつもの癇癪が出た。
何故だかは分からない。
もしかしたら、クレスの両親が命を落したことによるトラウマなのかもしれない。
クレスは、癇癪を起こしたあと必ず精神が興奮状態になり、感情が表に出やすくなるのだ。
つまり、今のクレスの感情こそが、本当のクレスの心。
多少殻から飛び出した感情を制御できていないところもあるが、それでもあれはクレスの正真正銘の感情なのだ。
そして、それを真っ向から受けとめている男。
彼の持っているミドルソードを、ブラックウィンドは知っているはずなのだ。
ミドルソードというのは使い手の数こそいれど、それを使いこなせる人間は稀少。
ましてや、これだけの使い手だ。
大陸中に名前が広まっていないことなど、あるはずがない。
「アレサンドロ!?」
その時だった。
更にそこに新しい邪魔者が出たようだ。
今度は男。
しかも、ディット・バーンには聞き覚えのある声だった。
「貴様……」
まず口を開いたのはディット・バーン。
そこにいたのはトッポと呼ばれる男。
アースロッド盗賊ギルド副頭領。
「貴様がアレサンドロを殺したのか?」
元々良くはなかった目つきだったが、更に鋭く細いものになっている。
黙ってその視線を受けとめるディット・バーン。
その視線という名の闘いに、クレスはおろか、ブラックウィンドさえも口を挟むことが出来ない様子である。
(あいつ!……)
ディット・バーン同様女にも、トッポという男に見覚えがあった。
ありがたいことに、トッポと呼ばれるギルドの人間は、目の前にいるミドルソードの男に気を取られて、こちらには気づいていないようだった。
とはいえ、下手に動くことは出来ない。
このタイミングで動くということは、誰にでも分かる。
それは決して低くない確率で、誰かしらの死を招きいれるだろう。
そして、今。
ディット・バーン。
クレス・ロックスター。
"トッポ"という三人の男達による戦いが始まろうとしている。
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