かつて彼はこれほどまでに凄まじい戦いを目の当たりにした事はなかったはずだ。
これを形容する為にはなんと表現したらいいのだろうか?
アースロット盗賊ギルド長カイラス・アレサンドロはそう思った。
見えない。
視えない。
観えない。
ディット・バーンの姿が"みえない"のだ。
「ぐはぁっ!?」
また一人見えないディット・バーンに喉笛を切られた同胞が倒れた。
(馬鹿な!馬鹿な!?)
カイラスには、そううめく事しか許されていなかった。
あの輪の中に入れば、いつ自分が狩られるか。
その恐怖がカイラスを確実に追いこんでいた。
結局は最終的にはその切っ先は自分に向けられることだろう。
そうあがいても最終的に行き着くのは徹底的な終焉。
すなわち自身の死。
それはもう精神状態はギリギリの所に立っていると言っても過言ではない。
「うわぁぁっ!?」
また一人仲間が切られる。
もうその数は八人に及んでいた。
二十二人いたギルド員達が、既に十四人しかその場に立っていないのだ。
時間にしてわずか数刻。
カイラスが今まで見てきた強者と呼ばれていた男たちでも、こうまでもあっさりと、そして的確にギルドに属する人間を仕留めてきた者はいない。
しかも、その攻撃は寸分の狂いもなく、死を招く。
ただ身体を薙ぐだけではなく、そこに致命傷を残していく。
今までどれ程の人間がそのミドルソードの犠牲になったかなど、カイラスには考える余裕もなければ意味もない。
だが、カイラスは思う。
自分はただディット・バーンにとっては雑魚でしかないのだろうかと。
「そんな馬鹿な……!」
そんな考えを頭から振り切るために、そう敢えて口に出したその時。
その言葉に応えるかのように、急にディットの動きがピタリと止まった。
そして、瞬きさえもすることなくカイラスの目を射貫くように睨み付ける。
その視線を真っ向から受けとめてしまい、カイラスは足がすくむ思いをした。
いや、実際足はガクガクと震えていたのではなかろうか?
これほどまでの恐怖を感じたことは生涯初めてのことだった。
「なにをしている?カイラス・アレサンドロ。俺は貴様を処罰しに来たのだぞ」
その言葉は低くとも、確実にカイラスの耳を貫いた。
貴様を処罰しに来た。
その意味が伝わる。
つまり、カイラスさえ抹殺できさえすれば、他のギルド員達の命は助けてやると言っているのだ。
自己犠牲をこの盗賊はカイラスに問う。
それに応える事は難しくはない。
生を諦めるだけでいい。
「意味がわからない貴様でもないだろう」
カイラスの額から汗が止め処なくあふれ出る。
ディット・バーンが言いたいのは、カイラスがディット・バーンに討ち取られない限り、ギルド員達の命も無駄に消えゆくという意味でもある。
「くっ……」
カイラスは迫られていた。
ディットと闘って消え行くか?
それとも自分の命を守る為にギルド員達を差し出すか?
ギルド員達の請うような視線がカイラスに突き刺さってくる。
(いやだ!いやだ!俺だって死ぬのは嫌なんだ!……なにかないのか!?)
カイラスは必死になって、自分の頭の引き出しをひっくり返した。
なんとか犠牲を最小限に押えて自分が助かる術を探しているのだ。
(なにかないのか!?なにかないのか!?)
すでにカイラスの頭は狂い始めていた。
下手な答えを導き出そうものなら、ディット・バーンにはおろか、ここにいるギルド員全員に、袋にされる恐れさえある。
ディット・バーンによって切り捨てられる屈辱も耐えがたいものはあるが、それよりもつい先ほどまで自分の思うままに、意のままに動いていたギルド員達にだけは、自分を殺す権利など与えたくはなかった。
誰でも以前の部下に軽んじられるたくはない。
特にカイラスの様に自尊心の塊のような男には尚更だった。
(何か……なにか……!?)
カイラスの吐く息が荒くなる。
その状況に戸惑いを隠せないのはギルド員だ。
ディット・バーンはそんなカイラスの様子にも瞬きひとつしていない。
カイラスは自己を失いかけていた。
どちらの答えも覆すことの出来る方法を探しているうちに、自分自身が壊れ始めてきているのだ。
なにせ、どちらに転んでも自分の死は否定できない。
それでもディットは答えを先送りにさせてくれることはしないだろう。
確実に、今この場で答えを出す必要を迫られている。
(これほどまでに強いとは……ディット・バーンめ……)
彼は恐ろしい程の憎悪が、心の中で張り裂けそうになっているのを感じ始めていた。
これは一度だけ、過去に経験したことのある感情だった。
その時は感情に流され、自分の父親を虐殺し、村の半分に及ぶ住民を持っていた青銅製のナイフで惨殺した。
それは彼の心に住む悪意のなせる犯罪。
彼は王国裁判に掛けられた時そう判断された。
故にその時は精神に異常が見られるということで、永久的な王国からの追放とという大量殺人罪にしてはかなり軽い刑罰で済まされた。
そして、この国に来て、盗賊ギルドで生活するようになったのである。
だが、一度悪を心に持った人間が良心を心に飼い続ける事は奇跡に等しいほど難しいこと。
徐々にギルドに所属しながらも頂点に立つことばかりを考えていた。
そして遂に彼はアースロッドの前ギルド長を殺害し、処刑執行人が派遣されるほどの堕落したギルドを作りあげた。
そんな状況を作ったその感情が、今まさに解き放たれようとしていた。
それは過去に何度となくカイラスの前面に押し出されようとしていた感情。
だがそれを今までカイラスは自分の自尊心を守るために心の奥に押し込んでいた。
だが、今は違う。
今度はその自尊心を守る為に、その負の感情を選ぼうとしている。
(このままディット・バーンに切り捨てられるくらいなら!)
カイラスはその感情に流されることにした。
「かぁぁぁぁぁっ!」
ふと、カイラスの声が辺りを包んだ。
一瞬のうちに静寂が訪れる。
「ディット・バーンよ……この俺を狂わせた己を悔やむがいい!」
カイラスはそう言うと、腰の辺りから短剣を二本取り出した。
「覚悟を決めたか……こい」
ディットは、腰を深く落とし、カイラスの突進に備える準備をした。
辺りにいたギルド員達は、この二人の気に圧倒されてか、息を呑むことすら忘れているようだった。
およそ時間にして十分が立ったころだったろうか?
そのまま硬直状態を続けていたこの広場において、緊張感に負けたギルド員が一人だけいた。
澄んだ、甲高い金属音が辺りを包む。
手に持っていた短刀が、手から滑り落ちてたまたま足元に落ちていた別の短刀にあたった。
その音を境に。
まずカイラスがし掛けた。
「うぉぉぉぉぉっ!」
風を切る。
まさにその言葉がしっくりくるほどのスピードで、カイラスはディット・バーンに向けて凄まじい突進をし掛けた。
しかし、そのカイラスの突進をディット・バーンは左手に掲げていたミドルソード一本で受けとめ、はじき返した。
「ぐおぉぉぉぉっ!」
その受け流されたまま、力押しでカイラスはディット・バーンを押さえ込もうとする。
だが、大きく振りかぶって放たれた渾身の拳は紙一重でかわされる。
「ちっ……」
ディット・バーンは素早くカイラスの元から離れて体勢を整えなおす。
「狂うのは貴様の脳だけにしておけば良いものを」
そう誰にでもなく呟くと、ディット・バーンは二本あるミドルソードのうちの一本を身体にクロスさせるように構える。
正面から見ているカイラスにとって、それは自分の墓標にでも見えるだろうか。
「そんなくだらない構えで俺に勝てるとでも思っているのか!」
カイラスはそう叫ぶと、再度ディット・バーンに向かって全体重を乗せた強烈な一撃を叩き込む。
「じゃあな」
絶体絶命。
その場にいた誰もがディット・バーンにそれを感じただろう。
圧倒的な体格の差。
確かに均整の取れた瞬発性にとんだディット・バーンの身体でも、ただでさえ巨躯な忍耐のカイラスの渾身の一撃に耐えられるはずがない。
それがこの場にいた全員の思考だろう。
だが、しかしディット・バーンになんら焦りはなかった。
二人の身体が交錯した瞬間、ディット・バーンは弾けるようにカイラスの脇の下を潜り抜ける。
「このガキがぁ!」
カイラスはそう声を荒げながら、ディット・バーンに向かって四度目の攻撃を加えようと振り向いた。
振り向いたのだが、しかしそれまでだった。
「カ……カイラス様!」
カイラスが、前のめりに体を倒した。
ヒザをつく。
ディットはその姿を見て、冷たい視線を送るだけだった。
「!」
そこにいた全員がディットの持っているミドルソードに注がれる。
濃い色をした、少しぬめり気のある液体らしきものが、そのくすんだ煌きを見せるその刀身にからみついていた。
カイラスの血である。
ディット・バーンはそこにいた、誰一人にすら見破ることの出来ないほどの高速の領域で、カイラスとの交錯の瞬間に、カイラスの脇腹になぎ払いの一撃をくれていたのだ。
「次だ……。まだ立てるだろう?」
ディット・バーンの心に慢心はなかった。
傷はそう深くはない。暫くまともに生活することは出来なくとも、生命にかかわる傷でないことは確かだった。
自分のミドルソードの刃を通して、その手応えが伝わってくる。
間違いはない。
だが、そのディット・バーンの手応えとは裏腹に、それ以後カイラスが立ちあがることはなかった。
それを察してか、ディット・バーンは静かにヒザをついて前のめりになったままのカイラスの元に歩く。
ギルド員達は、その場から動くことすら出来ずにその行動を見守っていた。
「既に死んでいる?……精神をやられていたか……」
ディット・バーンはそう分析した。
彼の分析は確かだった。精神が病んでいた今のカイラスには、膨大な憎悪の精神を抱え込むだけの容量が残されていなかったのだ。
どういうことか?
それは、すでにギリギリの量が詰めこまれていたカイラスの中身(憎悪)が、ディット・バーンに脇腹を切られたことによって、自分の中で暴発したのだ。
例えるならば、エール酒を入れる鹿の胃袋の中に、欲張ってたくさんのエール酒を入れた結果、些細なことで出来た小さな傷から破裂して中身が全て毀れた状態と似ているだろう。
結果的に、自分で自分を殺めたことになったのだ。
(フッ……まさに貴様にお似合いの最期だったな。人を陥れて手に入れた地位だ。自分自身を把握できなくなって死ぬ……。最高の終わり方じゃないか)
ディット・バーンは心の中でそうつぶやくと、周りを広く囲むように、半ば呆然と立ち尽くしているギルド員達を見渡した。
「かかってくるなら、いくらでも相手をしよう。だが、今黙って全ての過去を捨て、ギルド員としての生活から足を洗い、この地方から出払うというのであれば、イーリス女王国首都サイドイーリス盗賊ギルド処刑執行人ディット・バーンの名において、これ以上の追跡をしないことを、俺のミドルソードの剣束に約束しよう」
その言葉を最後に、周りにいたギルド員達が胸から盗賊ギルドのギルド員証明のための黒鷲を型どったペンダントを、ディットの足下に投げた。
それは、盗賊ギルドに伝わるギルド脱退の時の習わしだった。
盗賊ギルドを抜けるときに、その証明書を自分の周りにいる中で、一番位の高いギルド員に預ける。証明書を失うことで、自分がギルド員であることをやめるという事になるのだ。
「ここでの仕事は終わったか……」
ディット・バーンはそう呟くと、自分のミドルソードで、器用に自分の腕に一本の短い線を切り刻んだ。
その数は今までに七十七本にも及ぶ。
これは、ディット・バーンが今までに処刑を執行したギルド長の首の数である。
彼は、この数を自分の腕に刻むことによって、自分の殺人という罪を一生忘れぬようにしているのだ。
その時。
ディット・バーンの背後に二つの気配が現れた。
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