キール・マッケンシー。
時を超え、世代を超え、時代を超え。
彼の功績はその存在していた頃から何百年も経て、やっと認められた。
『偉大なる時学者キール・マッケンシー』
そう呼ばれたのは、およそ五百年ほど以前。
彼がまだ、この世界に存在していた頃のことである。
キールは若くして、レッドバーン帝国の前進でもあるホワイトバーン公国の宮廷魔術師の地位を手にした。その時に彼を見いだしたのが、ホワイトバーン王であり『レイピアの騎士』『識王』と呼ばれたホワイトバーン・レイナルド・フェルナンデス七世だ。そのレイナルド王が、当時彼が研究していた時学術の研究様子を見てそう呼んだのだ。
もっともその呼び名が大陸中を渡り歩いたのは、当時だけであったが……。
さて、一重に時学術と言ってもその種類は恐らく二種類にあたる。
生きているものの周りの時間だけを止めたり、遅くしたりする戦闘補助系の時学術。
それはまさに戦場において絶大な威力を誇った。俊敏な兵の時間を早めることによって、その兵は更に機敏な動きで敵を翻弄する。力のある兵を素早くすることは、その機敏さの不足という弱点を覆い隠した。対する敵の足を遅くする事により、味方の軍の体力を整える事にも役に立った。
それともう一つ。
病に冒されたときにその病気の進行を一時的に遅くしたり、大怪我を負ったときにその快復力を高めたりするときに用いる回復補助系の時魔術。
これは医学そのものに強い影響を及ぼした。
時の流れを遅くすることによって、死病と呼ばれる病の進行を遅らせる事が出来る。傷口等の局部の時間を早めることは、傷の早い完治に役に立った。
他にもこの中にいくつも細かく分類されているのだが、おおまかにはこの二種類を時魔術と呼ぶのが一般的である。
しかし、彼が専門に研究していた時魔術というのは、そのどちらにも当てはまらなかった。
それは、彼が独自に編み出そうとしていたもの。過去にも著名な時学者が成功させることの出来なかった研究なのだ。
その研究とは、自分の記憶や知識といったものを遺伝子回路に組み込み、子孫に残していくというものだ。
彼はのちにその研究を成功させる。
アスタランデの歴史において、歴史上でただ一人その秘術を完成させ実行することの出来た男だったのだ。
そのような彼だが、この研究を熱心に学んでいたのは事実ではあったが、それを可能にしようとまではこの時は思っていなかった。自分の知識欲を満たすため、達成感を得るためにそれを学んでいただけだったのである。
実際彼は、戦闘補助系時魔術も、回復補助系時魔術も、アスタランデに地を構えるどんな時学者よりも遙かに上だったのだ。いや、そのどちらも極めていたと言っても過言ではないだろう。
そうでもなければ齢二十そこらの若い時学者が、当時栄華を極めていたホワイトバーン公国の宮廷魔術師になれる筈などなかったのだから。
あの『識王』をして、キールの存在なしに自分が残した功績の半分以上は果たされなかったと語るほどなのだ。
その彼が宮廷魔術師という立場に就いた時に求めた、戦の時を除いて自分の研究に没頭できる時間。それを埋めるためにその研究を学ぶことにしたのだ。
ようは暇つぶしで始めた娯楽であった。
では何故彼が、今や秘術と呼ばれる『記憶補助系時魔術』を完成させそれを実行に移したのだろうか?
それはある一つの事件をきっかけとしてのこと。
彼は、その事件の直後から『記憶補助系時魔術』の完成に急ぐことになった。それと同時に、その持ちうる膨大な知識と彼の持つ鋭い洞察力を、ある一つの調べ物にそそぎ込むことになるのだ。
彼がその人生の大半を費やして研究した時魔法。
そして、とある調べ物。
それを共に調べて見ようではないか。
識王レイナルド・フェルナンデス七世の死から早くも二年が経とうとしていた。
ここはホワイトバーンの王城。
その一室にキール・マッケンシーはいた。
その時彼は三十二歳。魔術師として一番脂が乗り始める頃のことだった。彼はユッセオ大陸、ウィンドゥ大陸の両国からの侵略に対する手段を一人考えていた。
もはやホワイトバーン公国の領土からの侵略は免れないところまで来ている。
(識王の存在が大きかったのは認めるが……これほどまでに国騎士達の志気に影響を及ぼすとまでは考えていなかったなぁ……)
識王の死は確かに痛手だった。紛れもなく大陸一の勇者だったのだ。
アスタランデ同盟の総指揮者。敵対する両国にも知れ渡っているレイピアの騎士としての名。
どれをとってしてもその被害は計り知れない。
しかし、その息子であり現ホワイトバーン公国王ルイジ・フェルナンデス八世にしても、その潜在能力は高い。
識王……とまではいかないが、常識的な振る舞い。先を読む力。類い稀な細剣捌き。
どれをとってしても、順調に成長を続ければ前王の跡を継ぐには十分だと思われていたのだ。
それだから、キールもここまで一気にホワイトバーンの領地から侵略が進むとは予想だにしていなかった。
(ここら辺で手を打たないと、本当に間に合わなくなる……)
手をうつとは言っても、それがどれだけ難しい事かをキールは分かっていた。
元々ホワイトバーンの武力は微々たるもの。
それこそ前王一人の力で戦っていたようなものなのだ。
ルイジも実力はあるが、未だ実践の場に出たことはないし、キールも実践の場にかり出すつもりはなかった。
例えそれで脅威を退けたとしても、その後の事が大変なのだ。
もしまだ若いルイジを英雄にする事が可能だとしても、その若さが命取りになる可能性が捨てきれない。
確かに他の同世代とは一段も二段も人としての格が上であろうと、若いときに栄光を手にしてしまったならば、更なる栄光を掴もうという気持ちになる。
それがどれだけ優秀な人間であってもだ。
『識王』の息子であり、英雄になることを期待されて育ってきたルイジには、それが尚更プレッシャーにもなるだろう。
恐らく民を始めとした皆が思うだろう。
ホワイトバーンの力を世界に示したいと。
それだけは防がなければならないのだ。
だからこそ、今までルイジを実践に送り出すことはしなかった。
大臣をはじめとした、重責についている人間からの要請を受けたとしても、その決意だけは変えることがなかったのだ。
だが、今はそうも言っていられない。
『識王』の影に隠れていただけの軍に、ユッセオの猛者を跳ね返す力はない。
ただし、ルイジを戦場に送り出すことで、彼らのその士気を高めることも出来るかも知れない。
ルイジの存在で兵が落ち着きを取り戻せるなら、その時はルイジを戦場へと送り出す決意を決めなければならないのだろうか。
そんな事を空虚のままの意識の中で考えていたときだった。
入り口の扉が二度、ノックされた。
(はて……誰だろうか?)
「開いていますよ。遠慮なさらずに入ってきて下さい」
彼はそこを訪れたのが宮廷に使える年若い給仕の娘達だと思ったのだ。なにせ彼は王城に使えている中では歳も若いし、将来性もあった。更には話し上手。聞き上手。ここまで揃っていれば、お年頃の娘達が放っておくわけもない。
どうせ休憩時間に話し相手にでもなってほしくてきたのだろう。
そう思っていたのだ。
加えておけば、キールは容姿も端麗とまではいかないが悪くはない。
「それでは入りますよ、先生」
そう言って躊躇無く部屋に入ってきたのは、他でもない。ルイジ・フェルナンデス八世であった。
「これは失礼しました。ルイジ王でしたか……ご無礼な態度申し訳ありません」
キールはそう言うと、椅子から立ち上がり、ルイジの前に片膝をついて忠義の意を示した。
「先生。私は別に先生とは王と宮廷魔術師としてつき合っていたいわけではないとあれ程言ったではありませんか。父がいなくなった今、このホワイトバーンが持っているのも先生の力によるのですから」
そう言ってルイジは、キールに席に戻るよう促す。
ルイジは、このキールに偉大なる父王に対するのと同じくらいの、いや、それ以上の尊敬の念を抱いていた。
まだ幼い頃からキールの聡明さを父王から聞かされて育ち、キールに勉学を教わりながら育てられてきたのだ。
ルイジにとっては、まさに兄のような存在なのだ。
ちなみにルイジがキールの事を先生と呼ぶのは、勉学を教わっていたときからの習慣のようなものだ。
王になっても依然、キールを先生と呼ぶ。
今はもはや王なのだから、自分の事を先生ではなく名前で呼ぶようキールに言われた事もある。
それをキールから言われた時も、先生と呼ぶのが当然だという態度をとった。
あくまでもルイジにとっては、自分にとっての先生なのだ。
「それでは失礼して……」
キールはそのまま席に戻り、部屋付きに特上の紅茶を二セット持ってくるように指示してから、ルイジにも席につくよう求めた。
「それで、王と宮廷魔術師としてではないなら……今日はどんなご用件ですか?」
そう問い掛けるキールに、気まずそうにルイジが返答する。
「いや……今日はその……王と宮廷魔術師としての話なんですが……」
それを聞いた途端、キールの背筋がまた伸びる。
「それは再度失礼をしました。申し訳ありません。最近考え事が多すぎて、大事なところで気が引き締まっていないみたいですね」
キールはそう言うと気まずそうに眉を細めた。
その内容というのがホワイトバーンの戦況についてではあるのだが、彼はあえてその事に触れるつもりは毛頭なかった。
ちょうど紅茶を持ってきた部屋付きに二人分ティーカップに注がせる。
「王の口に合うかは分かりませんが……私が愛飲している紅茶です。これはスタル地方のものですね。甘みが少々押さえ気味なのです。やはり茶葉を摘んでからの行程に一工夫あるのでしょうが、なかなか彼らもその秘密を教えてくださらないのですよ。とはいえ、そんな秘密をしらなくとも……申し訳ありません。一度興味が向くと関係ないことまで喋ってしまう性分なもので」
それを見たルイジは軽く微笑む。
「父も言ってましたよ。先生ほど誰に対しても態度を変えない人間は珍しいと。だから父も先生を信頼していたのでしょうね。……それで、王と宮廷魔術師としての話なのですが……」
軽く微笑んだ後、キリッとした表情に戻る。
こういうところに王としての、前王の威厳を引き継いでいくものなのだなぁ……。そうキールは思った。その仕草が、彼の敬愛していたレイナルド王にそっくりだったのだ。
「……お伺いいたしましょう」
ルイジが暫く目を瞑り、どう話を切り出そうかを考えていたその時だった。
また別の誰かが、キールの部屋の扉を叩いた。
「ルイジ王、失礼します。……すまないが今、王と大事な話をしているのです。また後ほど来られてはもらえないでしょうか?」
キールはルイジに一言断ってから、扉に向かって声をかけた。
しかし、扉の向こうにいる人物にとって、用事があるのはキールではなく、王ルイジ・フェルナンデス八世の方だった。
「ルイジ王!こちらにいらっしゃいましたか!どうしても至急謁見したいという老人がおられるのです。なんでも戦争を終わらせる力を持っているから、王に会わせてくれと」
その言葉に二人は顔を見合わせた。
「分かった。すぐに行くから、先に謁見の間にて待機させておけ!……先生、先生も念のため着いてきて下さいますか?」
ルイジの言葉に、キールは神妙な面もちでうなずいた。
(戦争を終わらせる……だって?)
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