「その子が……新しくギルドに入った子なのか?」
彼を見たときの、サイドイーリス盗賊ギルド長キル・リッチモンドの第一声が、それだった。
キル・リッチモンドと言えば、盗賊ギルドに規律と秩序をもたらすことに成功し、ライバル的存在といえる魔術ギルドと違い、大きな社会的地位を得るのに大きく貢献した人物である。
その彼が見ても、その時にギルド員が連れてきた少年には資質を見い出せなかった。
リッチモンドには十分すぎるほどの経験と資質を見抜く洞察力とがあった筈だが、その彼にも、少年がギルドで成功するとは思えなかったのだ。
「はい。特に何か力を持っているとは思えなかったですがね……来る者拒まずというギルドの掟がありますんで」
その掟もリッチモンドが作ったものだ。
今思えば、それは早まった掟だったのかも知れない。
何も知らないゴロツキが志願してくることが多くなっており、今一度治安を見直すハメになったくらいなのだから。
それだけではなく、目の前にうつむいてだらしなく立っている少年のように、至って普通な子供まで志願してくるとは……。
「ま……掟を定めてしまった以上仕方あるまい。で、ボウズ。名前は?」
「リックス……リックスです……」
脅えているのだろう。
まぁ、仕方あるまい。
社会的地位をいくらか確立してきたとはいえ、ここは盗賊ギルドなのだ。
端から見て怪しまれる団体であることには変わりない。
それに見た目にも独特な人間が多いのだから。
「そう怖がらなくていい。それで……どうしてギルドに入ろうと思った?」
リックス少年は、少し考えた後、恐る恐る口を開いた。
「家に……家に新しい妹が産まれたんだ!でも家は何人も暮らせる所じゃないし……そんなに食べるモノもないし……俺が一番食べ盛りだから……」
なるほどな。
家族のために自分が家を出るのが一番いいと判断したわけか。
この歳にしてこの決断を出すとはな……。
決意は堅いだろうな。
意志も堅いだろう。
だがそれだけではギルド員として生き延びていくことは難しい。
例え離れ離れになったとしても、捨てることになったとしても、親との絆を捨てないでいる勇気。
もう会えなくなったとしても、親を誇る気持ち。
その親に対する思いこそが、キル・リッチモンドをして盗賊ギルドで成功するために必要不可欠な要素と言わしめる。
目の前にいる少年に、その心を持ち続けることが、果たして出来るのか?
それに、自分の故郷を見下されたときにはどのような態度を取る?
人間何かに詰まったとき、思い出すのは親と故郷。
それに気付かない者は、確実に命を落とす。
よほど恵まれた資質を持っていたとしてもだ。
必ず最後まで立っている者は、その二つを持っている者なのだ。
それがキル・リッチモンドが自分の経験から得た事実。
この二つを持っていないと判断したときには、この少年がギルドの一員として迎え入れられる日は決して来ないだろう。
「家に新しい妹ができたか……。喜ばしい事じゃないか。家族が一人増えたくらい、別にサイドイーリスで生活しているなら、養えんこともなかろうに」
リックスを案内してきたギルド員が、そうリックスに話しかけてきた。
「いや……俺の家、サイドイーリスじゃないですから……」
なるほどな。
リッチモンドは、その一言でディットの出生に気づいた。
「ということは……お前の家は非人区域……つまり、お前の両親はあのデザート〈人のおこぼれを喰らう集団〉だということだな?」
ディットの隣にいたギルド員が訝しげな顔をディットに向ける。
デザートからやってくる人間は多いのだが、こんな普通の少年がデザートの人間だとは思えなかったのだろう。
デザートというのは、簡単に言えば、スラム街みたいなものだ。
戦乱が終わらないこの世の中、それはつきまとう物なのかも知れないが、大陸で一番美しい町。といわれているサイドイーリスにすら、そのようなスラム街が存在する。
リックスは、そのデザートの出身なのだ。
「……はい」
次に来る言葉を予想してだろうか?
ギルド員の見せた表情に腹が立ったためであろうか?
ディットの両拳は強く握られた。
「お前…両親に恵まれなかったな」
床を蹴る音。
リックスはその言葉が全て発せられる前に、リッチモンドに向かって駆けた。
直後に響く、人間の体に鈍器が打ち込まれるような擬音。
リックスの身体がくの字に折れ曲がったときに出たものだ。
「あがぁ…ッ…」
リッチモンドが胸ぐらを捕まえられる寸前の所で、リックスの腹を蹴り込んだ音。
「威勢だけはいいようだな。おい……こいつを地下に入れておけ。誰にも手出しはさせるなよ。それと気を取り戻したら俺を呼べ。俺がそいつを管理する」
そうリッチモンドが言うと、リックスを連れてきた男が、リックスを引きずり部屋を出ていった。
「俺の目は節穴か?今までは何人もの新入りを見てきたはずだ……資質を見抜く力には自信があった筈なんだが……」
リッチモンドはそう窓に向かって呟きながら、自分の喉元に手をやる。
その先にはほんの少しだけ、血が滲んでいた。
喉元を掴もうとしたリックスの指がかすめていたのだ。
油断していたとはいえ、相手は盗賊ギルド史上に歴然と名を残すほどの男である。
そのキル・リッチモンドの喉元に、まだ入団すらしていないコゾウが血を付けたのだ。
「あいつは強くなる」
リッチモンドの目には輝きが満ちていた。
「俺が自ら強くしてやろうじゃないか」
入団が決まった瞬間。
そして、リックスにとっては一人前になるための試練の幕が開けた瞬間。
彼の親と故郷を持つ心が試された日。
そして、それが認められた日。
新しい名を与えられた日。
サイドイーリス盗賊ギルド処刑執行人ディット・バーン。
彼の話を始めよう。
「どうだ?コゾウの様子は?」
リッチモンドはすれ違ったギルド員にそう問いかける。
ここはサイドイーリス盗賊ギルドの地下の廊下だ。
奥には訓練所があり、いつでも同じギルド員同士手合わせが出来る。
今は、その訓練所がリックスコンマいや、ディットのねぐらになっていた。
「どうもこうもありませんぜ……俺じゃあもう歯が立たねぇっすよ」
年の頃三十なるかならないかといった、そのギルド員はシャツをめくって、赤く晴れ上がった腕を見せた。
「長はあんな化け物どこで見つけたんですかい?もうこのギルド内でも、あいつを押さえ込めるのは十人といないですぜ」
そう言いながら、ギルド員は階段を上がっていった。
そのコゾウと言うのはもちろんディット・バーンの事だ。
彼がギルドに入団してから、早くも半年が経とうとしていた。
その半年で、ディットはその実力をメキメキと開花させてきていた。
「長」
頭の中でこの半年の事を思い返していた、キル・リッチモンドに、訓練所の方から歩いてきたギルド員が声をかけてきた。
「アスロンか。どうした?」
彼の名はアスロン。本名を少しもじってつけられた、彼の通り名だ。
コゾウ……つまり、ディット・バーンをキル・リッチモンドに引き合わせたのが、何を隠そう、このアスロンだったのだ。
その時はたまたま近くにいたので、たまたま案内しただけだったのだが、キル・リッチモンドの命により、今はディット・バーンの目付役をしている。
「あいつの事ですがね」
そう言うと、アスロンは特徴のある柄をした長袖シャツの袖をまくって、自分の腕を見せてみた。
「ほう……」
その腕には一本の太い痣が浮かび上がっている。
見た目からして古い傷ではない。
「これをコゾウがやったのか?」
キル・リッチモンドの瞳に鋭さが光る。
「そうでさぁ。あいつにはまだ木刀を持たせて二月にもなりゃしないのに。こりゃ、俺もうかうかしてたら、あいつに抜かれちまうでしょうな」
ギルドに入門してから、半年。
その間木刀を使った実践的な訓練は、まだ二ヶ月足らずしか経験していない。その二ヶ月でディット・バーンは、手練れのギルド員と同等の戦闘技術を身につけていた。
アスロンはそう言いながら、長袖シャツの袖を戻す。
アスロンは決して弱くなど無い。むしろサイドイーリスに属するギルド員の中ではかなり強い方だといえる。
その彼に痣を負わせるというディット・バーンの資質。
それはキル・リッチモンドの心を躍らせるには十分すぎるモノだった。
「あいつは今どこにいる?」
リッチモンドは、アスロンが袖のボタンを掛け直したのを確認しながらそう尋ねる。
「訓練所にいると思いますぜ。あいつは休むことを知りませんからなぁ」
そう言うとアスロンはキル・リッチモンドに会釈をしてから席を外した。
その姿を見送ってから、キル・リッチモンドは訓練所に向かった。
ディット・バーンに会うためだ。
「コゾウ。いるか?」
キル・リッチモンドに殺意を込めた視線を送る男がいる。
「ほう……いい目をするようになったじゃないか。だが、まだまだだな」
そう言うと、壁に掛けてあるミドルソードタイプの木刀を手に取った。
「相手をしてやろう。こい」
その言葉を皮切りに、ディット・バーンの怒濤の攻撃が始まった。
音の鳴らない瞬間を探すのが難しい程の早さでディト・バーンはキル・リッチモンドに向かって叩き込んだ。
「どうした?お前の攻撃はそんなもんか?」
その攻撃全てを、キル・リッチモンドは受け流していた。
そこにあるのは圧倒的という言葉ですらも、足りないくらいの実力差。
乾いた音と共に、ディット・バーンの、木刀を握っていた右手から、その木刀が宙を舞った。
「くっ!」
ディット・バーンはその反動で後ろに吹き飛んだ。
「まだまだだな……」
しかし、ディット・バーンはこのまま終わるつもりは毛頭なかった。
そのまま後ろに転がりながら、壁に掛けてあった、二本のミドルソード型の木刀を無造作に手に取り構えた。
「ほう。貴様がミドルソードを手に取るとはな。だが、"ソレ"は扱いが難しいぞ?」
そう言いながら、キル・リッチモンドはディット・バーンとの距離を詰めていく。
ディット・バーンが習っている剣術は主にロングソード。ギルドに入ってまず最初に習う剣術というのが、ロングソードを使ったモノ。ロングソードで戦い方の基本や、間合いといったモノを勉強する。自分の身体が覚えていく。
いきなりミドルソードを自分の武器として使える人間など、いない。
少なくとも、キル・リッチモンドには心当たりがなかった。
「さぁ、どっからでもいい。かかってこい」
そう言うとキル・リッチモンドは、不敵の構えと呼ばれる、その独自の構えをとった。
離れたところでは、ディット・バーンが、悔しさを滲ませた汗を流しながら、踏み込むタイミングを計っていた。
「くあぁっ!」
その突進を目の前にして、キル・リッチモンドは己の何かが、真横に逃げろと叫ぶのを感じ取った。
その警告通り、キル・リッチモンドは軽いステップで、真横に飛ぶ。
直後。
ディット・バーンの横薙ぎの一閃が、そこをかすめる。
「コゾウ……」
キル・リッチモンドの腰が低くなる。
「末恐ろしいガキだ……」
キル・リッチモンドが、この手合わせ中、初めてであろう。攻撃の態勢を取る。
キル・リッチモンドが得意とする武器……それはミドルソード。ロングソードのように一対一もしくは重装戦。ショートソードのような狭い敷地内で効果を見せるような武器でもない。
いわば、その中間にある剣である。
そして、その相手に対する攻撃方法においても、全てに違いが生じているのだ。
ロングソードは主に叩き斬る。もしくは打撃によるダメージを与えることを目的とされるモノだ。その一撃は必殺。
次にショートソード。これに関しては一撃必殺の力はない。小さな傷を幾重にも重ねていくことで相手の自由を奪い取ることが最大の攻撃になる。
そしてミドルソードだが、これは一撃必殺の力にも成り得る。それに小さな傷を重ねていく攻撃方法もとれる。いわば、全てを兼ねている剣。丈夫な鎧などには効力は弱いが、そもそもそのような戦闘にはミドルソード使いは参加しない。
他にも剣と分類されるモノとして、ナイフ類やレイピア類、ハーフソード類があるが、それに関しては別機会に記すことにする。
今キル・リッチモンドが手にしている木刀は、ミドルソードタイプのもの。
つまり、キル・リッチモンドにとって一番扱いに慣れている、一番戦闘力を発揮することの出来る武器。
そのキル・リッチモンドが構えを取った瞬間、ディト・バーンの顔に緊張が走った。今から繰り出されるであろう怒濤の攻撃を前に、ディット・バーンは動けなくなってしまっていた。
その攻撃を見たのは数える程しかないが、その数少ない見学の機会にその恐ろしさというものが脳に焼き付いている。
動けるはずがなかった。
その様子を見て、キル・リッチモンドはミドルソードを降ろす。
「もういいだろう」
そして、壁にミドルソードを戻した。
それを見届けた瞬間、ディット・バーンは足に力が入らなくなっているのに気づく。
「……ふむ」
そんなディット・バーンを横目に、キル・リッチモンドは、今後のディット・バーンの育て方について色々と考えていた。
恐らく、このコゾウは何年としないうちに、ここのギルド員よりも上の実力を身につけるだろう。
「コゾウ」
キル・リッチモンドは、肩で息を整えながら、膝に手を突いているディット・バーンに声をかけた。
わずかに顔が上を向き、視線がキル・リッチモンドを捉える。
「明日、王から依頼された任務がある」
ディット・バーンには意味が分からなかった。
ギルドに入って半年。
任務の事や、仕事の事など一切話をされたことがなかった。
キル・リッチモンドからという事ではない。ギルドに関わる人間、誰一人としてディット・バーンに仕事の話をしたことがなかったのだ。
「これは、俺が直々に行う任務だ。お前も参加してみるか」
今、自分がどんな顔をしているかはわからない。
ディット・バーンはそう思った。
この半年間一切出てこなかった、ディット・バーンの仕事参加の話が、まさかこんな重要な任務で果たされるかも知れない。
「お前の役割は俺の援護だ」
しかも、要となるキル・リッチモンドの補佐。
「やってみるか?」
再度問いかけ。
答えなくては……。
「やる」
難しい言葉は関係ない。丁寧な言葉は関係ない。
だから、自分の思った事を、自分がどうしたいかだけを、そう短く表現した。
「よし。だったら今日はここじゃなく、俺の部屋で眠を取れ。俺が起きると同時に、お前も起きるんだ」
その言葉にディット・バーンは、小さく頷いた
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